しかし運命は彼女に意外な事態をもたらしました。二条天皇から入内を求められたのです。
二条天皇は後白河天皇の皇子で、近衛天皇から見れば4歳しか違わない甥にあたります。彼ははじめ2歳年上の〈女朱〉子内親王(鳥羽天皇皇女)を中宮に冊立しましたがやがて破綻して別居して事実上離婚し、その後3歳年下の藤原育子(徳大寺実能女)を中宮に冊立していました。いずれも後白河院を牽制し、摂関家の後ろ盾を得るための政略結婚だったと思われます。しかし父後白河院からの独立を願う若き天皇は驚くべき措置に出たのです。
永暦元年(1160年)正月、太皇太后藤原多子は二条天皇の強い要請によって再び入内することになりました。このとき二条天皇18歳、多子21歳でした。太皇太后の再入内という異常事態に当時の宮廷貴族は驚き、彼女を「二代の后」と呼びました。
思いがけなく時の人となった多子は非常に困惑していたと見え、近衛天皇崩御時に出家しなかったことを嘆いて「思ひきやうき身ながらにめぐりきて おなじ雲井の月を見むとは」(憂き身の上ながら、再び宮中に戻ってきて昔ながらの月を眺めようとは???)という歌を詠んだそうです(平家物語)。